たまに自分がどうしてこういう仕事をしているのかを考えるときがある。机に向かっていたくないからだとか、混んでいる電車に乗りたくないからだとか、そんな適当なことを得意げに言っていたときがあった。照れ隠しや違う仕事をしているひとへのアピールでそういうことを言ってきたことがいまはよくわかっている。
僕がアルバイトでこの仕事を始めたときからちょうど10年になった。始めは目標や志なんてひとつもなかった。違う誘いがあったら別にそれでもよかった。現場ではよく蹴られたし口を聞いてくれないひとも多かった。でもそれもしょうがなかった。そのときの僕のサービスに対する意識なんて、日常ではありえない感じにかしこまればいいと思っていたくらいだった。慣れない敬語を使って笑顔を作ることなんてできなかったし周りの会話の中にも入れなかった。もちろんお客さんの顔なんて見ていなかった。
サービスへの思いはすこしずつ変わってきた。きっと大切にするところが変わってきた。こうでないといけないかのように髪を固めて襟のはねているシャツを着てかくかく動いていたときもあった。すこしは周りがほめてくれるようになる。でもやっぱり自分だけ気持ちよくなってもしょうがない。
ニースで暮らしていたときそこに流れている空気が好きだった。田舎がなくてろくに旅行もしたことのない人間が急に外人になってしまった。誰も僕のことなんて知らないからなにをしてもよかった。それは僕の意地や見栄のようなものをどこかへ持っていってくれた。始めはなんでも日本のほうが上だしフランスはなんていい加減でセンスがないのかと思ったのに、だんだんいいものが見えるようになった。そしてその楽しみ方と力の抜き方を教えてもらった。ずっとこの仕事をやっていきたいと決めることができたし東京がずっと好きにもなった。僕はフランス人にはなれないのだから、育ったところで自分の感覚を試してみたくなった。
サービスという形の見えないものでお金をもらえることは素敵なこと。だからそこには価値を付けないといけない。それはお客さんのためでもあるし自分のためでもある。本当に幸せな思いができるのは、安易に値引きしてもらったり物をもらったりするときじゃない。誰かが自分のために気持ちや時間をかけてくれているのならそれくらいは僕はちゃんと払っていきたい。それならきっと次も楽しいし、いいものと普通のものの違いもわかってくる。人間の力を超えるいいものはそんなにない。どの駅を降りても同じ味の食べ物と同じ喋り方が用意されていることを望むひとがいるのかな。
たまに自分がどういうお店をやりたいのかを考えるときがある。こういう感じだったらいいなと考えるときりがないけど、でもいろいろ思う。いつか2つ目のお店を出すときはフランス料理のお店ではないかもしれない。居酒屋かもしれないし、もしかしたら歌を歌う設備が入るかもしれない。それはすこし大げさだけどいまはそれくらいの気持ちで真剣にサービスができるようになった。お客さんと一緒にひとつの社交場を作れるようにしたい。僕はお客さんは神様なんかじゃなくてお店を映す鏡だと思ってる。僕はそういう気持ちをこめてナジャという会社を作った。