パトリス・ルコントは、僕が名前を意識して作品を観ていた映画監督のひとりだ。「髪結いの亭主」が公開されたのはもう10年以上前になる。ルコントの作品で初めて観たのが「髪結いの亭主」だった。
ずっと変わらない雰囲気の映画なのに飽きなかった。色気のある映画だった。最後に急に女のひとが消えてしまっても変わらなかった。これを不幸せというならこの話は不幸せなのものなのだろうし、幸せと思うのなら最初から最後までずっと幸せな物語なのだろう。日本公開のときのコピーはたしか「かほりたつ、官能。」だった。これはフランス語にはきっと訳せない。
いまではルコントの初期の作品もほとんど日本で観ることができるようになった。「髪結いの亭主」のあとに、なるべく順番にルコントの昔の作品を観ていった。やせていてだらしのないミシェル・ブランが常連だった。軽やかな映画をたくさん作っていたことがいやらしくなかった。「髪結いの亭主」も喜劇なのかもしれない。話の内容を文章にしたらきっと数行でおしまいだ。
すこし前に僕が小学生のときから行っていた地元の床屋が閉まったことを聞いた。僕には「髪結いの亭主」のジャン・ロシュフォールみたいな趣味はないけど、他人に髪の毛を触られる機会なんてそんなにあることじゃない。ずっと忘れない感覚というものはある。小さいときは床屋に行くのに緊張した。中学くらいになるとおじさんになにか聞かれても無視したりわざと面倒くさいふりをしていた。それがだんだんいろいろなことを話せるようになった。僕の仕事の話をすることも多くなった。でも使っていたくしやはさみはずっと変わっていなかった。
地元といっても同じ東京だからそんなに遠いわけではない。でもいまはなかなか戻れない。地元でお店をやったら甘えてしまうと思った。でもいまはそれができたら素敵なことだと思うようになった。どこかの町のなかに当たり前のようにある雰囲気を作りたい。それは立会川でも変わらない。